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思う存分遊ぶことの意義
子どもたちの中には、さまざまな理由で自分のしたいように遊ぶ空間がなく歯がゆい思いをしている子もいると思います。“自分のしたいことが思う存分できる。”当たり前のように言葉では感じられますが、実際はそういった場所がある人はあまりいないのかもしれません。思う存分遊べる空間があると子どもにはどういった影響があるのでしょうか。
ひかりで子どもたちを見ていると、部屋をいっぱいに使う子がいれば、個別の部屋で好きな遊びをする子がいたりと多様な光景を目にします。ひかりの管理者の中原先生が「子どもしたいことをさせてあげて」とよく私を含むスタッフに伝えていたのを思い出しました。その言葉通り、ひかりには多くの部屋やおもちゃがあります。スタッフの私から見ても好きに遊べるなというか感覚があります。好きに遊ぶ、思う存分遊ぶことに大きな意味があるように感じました。
ある時子どもが将棋を全て成った状態で始めようと言い出しました。ゲームとして成り立たたない感じのルールで、楽しそうではなく、普通にしようと声をかけようと思いましたが、そのまま子どものルールにのっとり将棋を行いました。そうしたらその日は満足そうに帰り、その後の利用でも自分のルールでの遊びが非常に増えていきました。思う存分好きに遊んだといえるこの遊びが一体どんな意味をもたらすのか私はわからずにいました。そんな時、心理師である中原先生は「子どもは遊びの中で自分の思いを表現する」という言葉を思い出しました。さらに田中千穂子は「あそびは子どものことば」と述べています。二つの意見から一緒に遊ぶ中で起こる遊びは自分の思いを表現する言葉という視点を持てるようになりました。この視点を持ってルールにとらわれない遊びをする子どもを見てみると、私生活での窮屈な思いをルールにとらわれない遊びをすることで、既存の枠組みにとらわれたくないんだと語ってくれているように見えるようになりました。このようにとらえると、「遊びはことば」ということが実感できました。
以上の出来事を踏まえて、「思う存分遊ぶことの意義」について私の考えをまとめます。思う存分遊ぶことで現れた遊びを、療育者は「遊びという言葉」という観点を持ち、子どもの思いを理解し、共感し、表現する必要があります。そうすることで子どもは自分自身の思いを理解してもらえたという経験をします。加えて言葉になっていなかった自分の思いと出会います。つまり、思う存分遊ぶことは「自分を表現し、共感を得る」「気づいていなかった自分と出会う」ことができるために重要だと考えます。
これで私の初めてのブログを終わろうと思います。これからも日々の私の成長であったり、ひかりの取り組みの疑問や思いについて随時、投稿出来たらなと思います。これからもどうぞひかりをよろしくお願いいたします。ご覧いただきありがとうございます。
濵口響